25 2012

ボルカールールの危険について

昨日shining blade終わらして

ミスティかわいいな安定だなと思っていた矢先

ふと目にした経済書にポルカールールという米国の新法に関しての

記述がありました

ボルカールールて何?

と思うと思いますが

これは米国がリーマンショックで教訓としてえた

信用性の低い高リスク商品にお金を出すのをやめなさいというシンプルなもの

まあ 経済の事を知らない人がきいたら いいことじゃないと思うかもしれませんが

大問題です アメリカがこのようにして金融引き締め ようするに他国の金融商品の買い付け

禁止を言っているようなもの

ようするにアメリカにある金融機関は 日本の証券や国債 買うんじゃないよということで

アメリカで買い付けが鈍れば 今の日本の市場は外国人の買い付けで動きますから

甚大な被害になると思いますし

この ボルカールールを作った本人は 米国連邦準備制度理事会総裁の任期の途中

ボルカー指導下の米国連銀は、1970年代の米国におけるスタグフレーションを終わらせた業績で広く知られている。
連邦準備制度理事会議長に就任した1979年8月より「新金融調節方式」、いわゆるボルカー・ショックと呼ばれる金融引き締め政策を断行した。ボルカーの導入した高金利政策によって、1979年10月にはニューヨーク株式市場は短期間のうちに10%を超える急落を見せた(ボルカー・ショック)[5]。1979年に平均 11.2% だったフェデラル・ファンド金利(政策金利)はボルカーによって引き上げられて 1981年には 20% に達し、市中銀行のプライムレートも同年 21.5% に達した。しかし、それと引き換えにGDPは3パーセント以上減少し、産業稼働率は60パーセントに低下、失業率は11パーセントに跳ね上がった。
この結果、ボルカー指導下の連銀は、連邦準備制度の歴史上最も激しい政治的攻撃と、1922年の創立以来最も広範な層からの抗議を受けることになった。高金利政策によって建設、農業部門などが受けた影響により、重い債務を負った農民がワシントンD.C.にトラクターを乗り入れて連邦準備制度理事会が本部を置くエックルス・ビル (en) を封鎖する事態にまで至った[6]。
1982年後半、3年続けた金融引き締め政策を断念し、緩和を実施した。3年間の金融引き締め政策でインフレ率は1981年に 13.5% に達していたが、1983年には12パーセント以上も減少し 3.2% まで押さえ込むことに成功した。[7][8]。これによってアメリカ経済は活気を取り戻し、GDP・産業稼働率は向上し、失業率は低下した。

ようするにこのお方は金融引き締めが大好きな人です

しかし好景気になっていない状態での金融引き締めは逆効果しかもたらさないと考えます

好景気の際は中央銀行による金利引き締めにより 投機的資金の引き上げやバブルの抑制につながりますが

不景気のさいに引き締めを行えば 当然しわ寄せは国民に来るわけです

まあ 今は国際的な非難を浴びて米国も夏に施行させようとしているようですが

無理そうな見方のほうが強いですね
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