19 2017

宮崎観光⑤ 宮崎神宮(巨人の必勝祈願で有名) 神社と神宮などの違い知ってますか?

神社と神宮の違い


私の簡単な理解だと、神社は神を祀る箱 何を祀るかによって呼び方が違う。神宮はその中でも最高位に位置します。

神社の呼び方には「○○神社」また明治神宮のように「○○神宮」、そして「○○八幡宮」や「○○大社」「○○社」など様々な呼び方があります。はじめに明治神宮のように「○○神宮」と称するものには、そのほかに熱田神宮・香取神宮・平安神宮などがありますが、これらは古代から皇室と深いつながりを持つ神社、あるいは天皇を祭神とする神社です。

 また北海道神宮・英彦山神宮は戦後になって「○○神宮」を称しましたが、その際には特に御聴許を願い出た上で改称しています。そして「神宮」といった場合、これは伊勢の神宮を指します。「伊勢神宮」は通称で「神宮」が正式な名称です。

 「○○宮」には鎌倉宮※1のように親王※2を祭神とする神社のほかに筥崎宮のように古来から「○○宮」と称する神社があります。また東照宮※3・水天宮※4・天満宮※5・八幡宮※6のように伝統的な呼称(神仏習合時代に成立した呼称が多いようです)に基づくものもあります。

 つぎに「○○大社」については、かつての官国幣社制度※7の下では出雲大社だけが「大社」を称しました。しかし、戦後になってからは住吉大社・春日大社・諏訪大社・三嶋大社・富士山本宮浅間大社などのように、「大社」の呼称が増加しています。この基準としては全国に多数ある同名の神社の中で宗社にあたる神社であって、旧社格が官幣大社・国幣大社であることを基本としています。いずれにしても今日では、これら呼称の違いは神社の格の上下を律するというより、由緒に定められているものといえます。

 「○○社」の称号は、大きな神社から御祭神を勧請した神社に用いられ、神明社※8や天神社※9などがあります。
※1鎌倉宮 護良(モリナガ)親王(後醍醐天皇の皇子)をまつる。明治2年鎌倉市二階堂に鎮座。
※2親王 嫡出の皇子および嫡男系出の皇孫である男子の称号。
※3東照宮 徳川家康をまつる神社。東照大権現ともいう。はじめは東照社と称したが正保3年(1646)日光の東照社が完成し、宮号を授けられて以後、全国に散在する東照社も東照宮と改称。日光および久能山の東照宮は後に別格官幣社となる。
※4水天宮 1.福岡県久留米市にある元県社。祭神は安徳天皇・建礼門院。舟人の守護神として尊信が篤い。全国水天宮の総本社。

2.東京日本橋にある神社。江戸時代、久留米藩主有馬頼徳が福岡の水天宮の分社として創建したのに始まる。水神または安産の神。
※5天満宮 菅原道真をまつった神社の宮号。北野天満宮・太宰府天満宮・大阪天満宮など全国各地にある。
※6八幡宮 大分県宇佐市に鎮座する宇佐八幡宮を全国八幡の総本社とする。一般に応神天皇・比売(ヒメ)神・神功皇后をまつる。源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮を創建されてから武士の信仰が広まった。
※7官国幣社 平安時代に制定された神社制度。国から幣(ぬさ)が奉られる神社を官幣社、地方の国司から奉られる神社を国幣社と分けた。
※8神明社 中世以降、伊勢神宮の神霊をまつった神社。
※9天神社 菅原道真をまつった神社。
BY明治神宮より
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時間は空きましたが、宮崎観光⑤です。

宮崎神宮という所に行って来ました。すごく由緒のある神宮になります。

この神宮は巨人軍の選手が、必勝祈願を行う事でも有名です。
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http://miyazakijingu.jp/


宮崎神宮の由来
社伝によれば、本宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)(熊本・阿蘇神社ご祭神)が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳たたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。下って第十代崇神天皇、第十二代景行(けいこう)天皇の熊襲(くまそ)ご征討の際に社殿のご造営があり、ついで第十五代応神(おうじん)天皇の御代、日向の国造が修造鎮祭(しゅうぞうちんさい)せられた旨が旧記に伝えられています。

『職原抄(しょくげんしょう)』
 神武天皇即位之初 継神代之蹤都日向國宮崎宮云々

『大和國風土記』
 橿原郷土地中肥、民用不少、是則神日本磐余彦天皇、自 日向國宮崎 始メテ皇居之地也云々

『日向風土記』
 宮崎郡土地上肥云々、古老傳云、此地自皇孫降臨至神日本磐余彦天皇 之宮所也、故云 宮崎 云々

ご祭神 
今上陛下は125代目にあらせられます。
御祭神の神武天皇 東征で有名。
神武天皇は即位前は神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)といい、彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の四男(または三男)である。生まれながらにして明達で、強い意志を持っていた。15歳のときに皇太子となり、長じて吾平津姫(あひらつひめ)を妃とし、息子の手研耳命(たぎしみみのみこと)を得た。
『日本書紀』によると、甲寅の歳、45歳のとき日向国の地高千穂宮にあった磐余彦は、兄弟や皇子を集めて「天孫降臨以来、一百七十九萬二千四百七十餘歲(179万2470余年。神道五部書のうち『倭姫命世紀』、『神祇譜伝図記』ではニニギは31万8543年、ホオリは63万7892年、ウガヤフキアエズは83万6042年の治世とされ、計は179万2477年となる。)が経ったが、未だに西辺にあり、全土を王化していない。東に美しい土地があるという、青い山が四周にあり、その地には天から饒速日命が下っているという。そこは六合の中なれば、大業を広げて、天下を治めるにふさわしい土地であろう。よって、この地を都とすべきだ」と宣言した。諸皇子はみなこれに賛成した。
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神武天皇ご誕生 ─

 神武天皇は初代天皇にご即位するまでは、神日本磐余彦天皇、ご幼名を狭野命と申し上げました。天照大御神から五代目の御孫(右系図参照)にあたります。鵜 草葺不合尊(鵜戸神宮ご祭神)の第四皇子で、母は玉依姫命(たまよりひめ)と申します。お生まれは宮崎県西諸県郡高原町にしもろかたぐんたかはるちょう)大字狭野(と言われ、この地には狭野神社(旧宮崎神宮別宮)が鎮座しています。
写真:ご生誕の地に鎮座する狭野神社(旧宮崎神宮別宮)
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狭野神社
第5代孝昭天皇の御代に神武天皇ご生誕の地にご創建されたのが始まりと伝えられています。
神武天皇はご幼名を狭野尊(サノノミコト)と申し上げますが、皇族のご幼名は生まれ育った地名を付ける慣習があった事から、当地の地名の狭野が由来すると伝えられており、当社より西に1キロ程に有る末社の皇子原神社がご生誕の地といわれます。
また、直線の参道では日本で一番長いといわれる狭野神社の参道沿いは美しい杉並木となっており、ご参拝前に歩くと心が清められる感じが致します。
当社の氏子が中心となり行われる祭祀に、2月18日の苗代田祭(ベブがハホ)、5月16日の御田植祭、12月第1土曜日の狭野神楽がございます。


天皇は生まれつきご聡明で武に富みご性格も確りした方でしたので、御年十五歳の時皇太子に即(つ)かれ、宮崎で政治(まつりごと)をお取りになりました。しかし、当時は未だ全国統一がなされた時代ではなく、皇威(こうい)が全国に輝くというわけではありませんでした。
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そこで天皇は皇威を広めようと仰(おっしゃ)って、四十五歳の時に、都を中央に遷(うつ)すべく、宮崎をご出発になりました。先ず宮崎から陸路北へ進まれ湯の宮でお泊り御湯を召され、次に甘漬(あまつけ)や都農(つのう)では武運長久(ぶうんちょうきゅう)のお祀(まつ)りをされ、更に北に向かい美々津の港から船出されたと伝えられています。

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宮崎神宮

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